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May 2005

May 31, 2005

マレーシア公演2

昨日の記事に書きましたマレーシア公演の件で、『MPO日記』の情報に御礼を申し上げるメールを差し上げたところ、マレーシア・フィルのコントラバス奏者でいらっしゃいます古澤 直久様が、もうひとつ、ポゴレリチの演奏会情報を教えて下さいました。この協奏曲のあと、ポゴレリチのソロ・リサイタルも予定されているとのことです。

10月3日(月)
ベートーヴェン: ピアノソナタ第24番嬰ヘ短調作品78
ベートーヴェン: ピアノソナタ第32番ハ短調作品111
ラフマニノフ: 楽興の時第1番変ロ長調作品16-1
スクリャービン: ピアノソナタ第2番嬰ト短調作品19『幻想ソナタ』
リスト: 超絶技巧練習曲集から
    第5番”鬼火”、第8番”狩り”、第10番”熱情”

ということで、内容的には東京公演と同じプログラムですね。コンチェルトからリサイタルに至るまで、ポゴレリチのマレーシア滞在はある程度の期間に及ぶものと思われます。

古澤様からは「マレーシアにお越しの際は是非ともご連絡を」と、暖かい御言葉を頂きました。本当にありがとうございました<(_ _)>。協奏曲と独奏会の両方を聴ける数日間になりそうですが、皆様、お出かけになりませんか(^^)。

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May 30, 2005

マレーシア公演

情報を下さった方があって、わかったのですが、ポゴレリチは来日公演直前の時期には、マレーシア・フィルハーモニー・管弦楽団に客演する予定になっているようです。

MPO日記

MPOメインシリーズダブル
9月30日(金)8:30PM
10月1日(土)8:30PM

外山雄三: 管弦楽のためのラプソディ
プロコフィエフ: ピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26
ニールセン: 交響曲第5番作品50

指揮 秋山和慶
ピアノ イーヴォ・ポゴレリッチ

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May 28, 2005

最近のポゴレリチ

Yahoo!のPogorelich GroupのPhotos欄に、新しい写真が一枚、投稿されていました(Groupへの会員登録をすれば見られます)。

写真では、ダークグリーンのポロシャツ姿のポゴレリチが、グランドピアノの前に座っていて、取材陣のマイクが4本、彼に向けられています。ポゴレリチはスキン・ヘッド(というか、高校野球の男の子的な、ボウズ刈りっぽい感じ(^_^;)?)で、とてもにこやかに、インタビューか何かに応じている様子です。

ファイル名が『Ivo_ May 2005』となっているだけで、詳しいデータがわかりませんが、非常に最近のものではないかと思われます。

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May 21, 2005

きょうからプレオーダー

ポゴレリチの東京公演チケット、昨夜で会員優先予約は終了し、きょうからはe+のプレオーダー開始です。これは抽選です。カジモトに登録していなくても、e+の会員の方でしたらどなたでもご利用になれます。

e+ CLASSICAL vol.61

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May 20, 2005

「ワルシャワの覇者」ライセンス期限

ポーランド・ムザの映像資料提供により学研から発売されているDVD『ワルシャワの覇者』ですが、ポーランド側の話ではこれの契約が2008年3月25日で切れることになっているそうです(情報ご提供下さいました某様に、この場をお借りしまして御礼申し上げます)。

ですので、もし契約が更新されるようなことがないならば、『ワルシャワの覇者』が日本で流通するのはあと三年弱、ということになります。まだ日数は充分にありますが、購入をご検討中の方は、一応、「年限がある」ということにご注意下さいませ。

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May 19, 2005

レコ芸6月号

『レコード芸術』6月号の「海外楽信」のページに、ポゴレリチのライプツィヒ公演についての記事が出ています。城所孝吉氏によるレポートで、大変興味深い内容なのですが、残念ながらこの方は私のようなシツコいファンではないので(当たり前だ(^^ゞ)、事実関係についての記述はやや不正確という印象を受けました。

まず書き出しが、『演奏会の数が極端に減っているイーヴォ・ポゴレリチが』。確かに、九十年代初頭あたりと較べたらそうかもしれませんが、この言い方だと、昨今の彼がいよいよ危険な状態に陥る一方であるかのような誤解を与えないでしょうか。2001年から2002年の秋まで演奏会を全く行わなかった時期があり、そのあと、2003年にはヨーロッパからイスラエル、香港に至る演奏活動を行ってかなり復調し、しかし昨年前半はキャンセルが相次ぎ、後半にはまた持ち直してアメリカ公演を敢行し、・・・とここ数年のポゴレリチの演奏会数はかなり波があるので、かんたんに『極端に減っている』とまとめられると、ファン的には、そんな一方的な(^_^;)、とちょっと違和感があったのが正直なところです。

その次に筆者は、2000年のベルリン公演が忘れられない、と記していますが(ショパンのソナタ二曲を含むオール・ショパンプログラムだったと書かれているので、99年の来日公演で披露したのと同じ内容の曲目だったようです)、そこにあった「拒絶感」が『年来の師でもあった夫人の死(前年)を連想させると同時に』というのは、事実誤認ですね。ケジュラッゼ女史が亡くなったのは96年2月であって、2000年の前年ではありません。もうひとつ言うと、このオールショパンでベルリン公演を行ったのは、そもそも、99年3月23日ではないかと、私は思うのですが・・・・(逃)。

それはともかくとして、当夜の演奏会についての城所氏の記述は、しかし、なかなかに読み応えのあるもので、私はこれのためにレコ芸を今月は買いました。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの舞台に現れたのは、あの長髪をばっさりと切り、坊主頭(!)になったポゴレリチの姿であった。(中略)そして演奏は・・・・。あくまで深く響き渡る音質、重層的な和声感は、紛れもなく彼のピアノである。しかしそのうねりが、どこか堂々巡りを繰り返しているようで、真の解決・展開を欠く印象だった。プログラム全体がひとつの作品かのように響き、趣はもはや尋常な次元を越えていた。

氏は、これは音楽の善し悪しの話ではなく、演奏家としてのポゴレリチの方向性の問題だと述べ、
つまり彼は四十代半ばにして、完全にこの世のものではなくなってしまったのである。拍手の中、よろめきながら袖に去っていくポゴレリチの姿を見ていると、何とも言えない複雑な思いにとらわれずにはいられなかった』。

この世のものではなくなった音楽、・・・・聴いていないのでなんとも言えませんが、これはますます、来日公演を実現させて欲しいと改めて思いました。今の彼にしか弾けないものを私は聴きたいと切に願っていますので、それが生きた音楽でなくても、彼の意識が既に彼岸に飛んでしまっていても、私はファンとして、そのこと自体が問題であるとは全く思いません。

あ、でも、ポゴレリチの、舞台での歩き方がゆらゆらしてて変なのは、初来日のときから、ずっとみんなが言っていることなんですが(爆)。今はもっとヨロヨロなのかも?

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May 18, 2005

e+ CLASSICAL Vol.61

e+Classical61号にポゴレリチが掲載され、特集頁も組まれていました。まだご覧になっていない方は、どうぞ。

同じ号にクロアチア出身の若手ピアニストMAKSIMの公演案内も出ています。こちらは今、プレオーダーの真っ最中ですね。

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May 17, 2005

明日はチケット発売!

明日5月18日(水)は、ポゴレリチの演奏会チケット、第一弾発売日です。カジモト・イープラスに会員登録していらっしゃる方は、明日12時からの「会員限定先行予約」での購入ができます。

カジモト・イープラスに問い合わせたところ、明日発売になる「会員限定先行予約」と、このあと順次発売される「プレオーダー」「一般発売」とは、最初から別枠になっているのだそうで、いずれの発売でもその都度、全席種、販売されます。

ですから、仮に明日、どのように予約が殺到したとしても、明日で完売になることは、ありません。「プレオーダー」「一般発売」ともにS席(前方席含む)の割り当てがありますので、明日、希望の席が取れなかった場合も、敗者復活の機会が、このあと、二度、あることになります。

購入に関しては、以前書きました、ポゴレリチ来日公演チケット発売についての記事も、ご覧頂ければと思います。

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May 11, 2005

次回ショパンコンクール審査員の顔ぶれ

ポゴレリチに直接関係ないのですが、今年の秋に行われる第15回ショパン・コンクールの審査員の名前が公式サイトに出ていました。

マルタ・アルゲリッチ(ピアニスト)
ベラ・ゴロノステヴァ(モスクワ音楽院教授)
リディア・グリフトウヴナ(マインツ・グーテンベルグ大学教授)
周 広仁(中国中央音楽院教授)
アダム・ハラシェヴィッチ(ピアニスト)
クリジストフ・ヤブロンスキ(ピアニスト)
アンジェイ・ヤシンスキ(カトヴィーツェ高等音楽学校教授・審査委員長)
ウラジミール・クライネフ(ハノーヴァー音楽芸術大学教授)
中村紘子(ピアニスト)
ジョン・オコーナー(アイルランド王立音楽アカデミー教授)
ピオトル・パレチニ(ワルシャワ・ショパン音楽院教授・副審査委員長)
ジョン・ペリー(南カリフォルニア大学教授)
セルジオ・ペルティカロッリ(ローマ・サンタチェチーリア音楽院教授)
エヴァ・ポブウォツカ(ピアニスト)
ベルナール・ランジュサン(ピアニスト)
レジーナ・スメンジャンスカ(ワルシャワ・ショパン音楽院教授)
ヨゼフ・ストンペル(カトヴィツェ音楽院教授)
ダン・タイ・ソン(ピアニスト)
アリエ・ヴァルディ(テル・アヴィブ大学ルービン音楽院教授)
ファニー・ウォーターマン(リーズ音楽大学教授)

アルゲリッチは、ポゴレリチ自身がエントリーした第10回コンクール時の審査員でしたが、あのようないきさつで辞任した彼女も、またこうして審査員として名を連ねることになったのですね。

ベラ・ゴロノステヴァはモスクワ音楽院でポゴレリチを教えた先生のひとりです。このかたとポゴレリチは、レッスンより口論ばかりしていた、と、彼女自身がインタビューで語っていたものでした。

アンジェイ・ヤシンスキはツィメルマンの先生ですよね。名前を聞いて長いのでヤシンスキ教授はかなり高齢のような気がしていましたが、現役でいらっしゃいましたのね(失礼)。

エヴァ・ポブウォツカは第10回コンクールに地元ポーランドからエントリーして見事本選入賞したピアニストですが、彼女のエントリー番号はポゴレリチのすぐ前でした。ふたりともPの名前なので並んでいたのですね。

そしてダン・タイ・ソン。彼こそ第10回コンクールの覇者!

・・・こうして見ると、あの80年のコンクールで世に出たピアニストたちは、皆、それぞれに立派なベテランになり、後進の指導が充分に務められる年齢と地位を獲得した訳ですね。

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May 03, 2005

今月のClassica Japan

今月はポゴレリチのモーツァルトとバッハが放映されます。

5月5日(木)14:30 モーツァルト『ピアノ・ソナタ第11番』
5月5日(木)21:30 モーツァルト『ピアノ・ソナタ第11番』
5月15日(日)13:20 バッハ『イギリス組曲第2番』
5月15日(日)13:50 バッハ『イギリス組曲第3番』
5月20日(金)14:00 バッハ『イギリス組曲第2番』
5月20日(金)14:30 バッハ『イギリス組曲第3番』
5月20日(金)21:05 バッハ『イギリス組曲第2番』
5月20日(金)21:35 バッハ『イギリス組曲第3番』

いずれもDVDになっている映像だと思われますが、モーツァルト収録のDVDは今、廃盤なので、お持ちでない方にはCSでの放映は貴重かもしれません。

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May 02, 2005

ロヴロ公式HPの行方

イーヴォ・ポゴレリチの弟でピアニストであるロヴロ・ポゴレリチの公式HPが、閉鎖されたか、どこかへお引越してしまったようで、昨日久しぶりに行ってみたらページがなくなっていました(^_^;)。ちょっと検索してみましたがヒットしません。どうなったんだろう?ご存じの方、いらっしゃいましたらご一報下さいませ。兄のイーヴォとは全く違う方向性の活動をしていて、それなりに興味を持っていたのですが、公式サイトがなくなったのだとしたら残念です。

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May 01, 2005

ケマル・ゲキチ

サイトのリンクのページにUPしました通り、ケマル・ゲキチ氏のオフィシャルサイトと相互リンクさせて頂くことになりました(ありがとうございます<(_ _)>)。

ゲキチは、ポゴレリチと同じクロアチア出身のピアニストです。1980年第10回ショパン・コンクールの折り、ユーゴスラヴィア(当時)からは3人のピアニストがエントリーしていて、その3人というのが、ニノスラヴ・ズィヴコヴィチと、イーヴォ・ポゴレリチ、それに、このケマル・ゲキチでした。1962年生まれのゲキチはこのとき18歳。コンクール参加規定にようやく達したばかりの若さでした。

この第10回コンクールでゲキチとズィヴコヴィチの二人は第一次予選で敗退し、ポゴレリチだけが第三次まで勝ち残った後、あの「ポゴレリチ事件」を巻き起こして一躍有名になります。そして、その5年後の85年第11回コンクール(スタニスラフ・ブーニン優勝)時に、今度は、再度の挑戦を果たしたゲキチが、やはり同じように第三次予選まで勝ち進みながらもファイナリストに選ばれず、これに抗議した審査員が辞任し、聴衆からも抗議行動が起こり、そのことが彼の名を一気に世に知らしめることになります。

コンクール後、早い時期にロンドンに居を移したポゴレリチと異なり、ゲキチはその後も長く故国に留まり、ノーヴィ・サードで教鞭をとりつつ、演奏活動を展開していましたが、99年のコソボ紛争により音楽院が閉鎖された際に、ゲキチはマイアミに移り、フロリダ州立大学に助教授として迎えられました。現在もアメリカを拠点に活発に活動しています。ここ数年はコンスタントに来日公演も行われています。

詳しくは、ケマル・ゲキチ・オフィシャルサイトをどうぞご覧下さい。

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