2006年 演奏会

December 26, 2006

イーディス・チェン嬢と共演?

12月12日、ポゴレリチはスイスのルガーノで演奏会を行いました。
Concerto di Ivo Pogorelich

これに関するイタリア語記事だと思われるものが見つかったのですが(JohnClark様ありがとうございました!)、それによると、どうもこの演奏会は、イーディス・チェン嬢とポゴレリチのジョイント・リサイタルであったようです。

Il tocco di Pogorelich

イーディス・チェン、現在はグウィニス・チェンと言っているようですが、彼女は93年のポゴレリチ・コンクールの覇者で、ポゴレリチがShe is too good to be true、と賞賛したピアニストです(信じられないほど素晴らしい、というくらいの意味かと思います)。

彼女とのジョイント・リサイタルをしたい、ということはポゴレリチが先の計画を語る際にこのところ幾度か言及していたことで、手始めに、ポゴレリチの住居のあるルガーノでそれを実現させた、ということのようです。

内容は、チェンによるショパンの「夜想曲作品27-2」、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」、ポゴレリチによるラフマニノフの「楽興の時」、などであったようです。記事の後半に、ブラームスやグラナドスなどの記述も見えますが、機械翻訳で読んだ程度なので、これらが当日の曲目だったのかどうか、よくわかりません。

記事内容はともかく、この時期にポゴレリチが「楽興の時」を弾いているのなら、多分、来日公演でもこれはあるでしょうね(爆)。

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November 23, 2006

21日アーヴァイン公演評

Orange County Registerに、21日カリフォルニア州アーヴァインでのリサイタル評が出ていました。演奏内容としては好評のようです。ポゴレリチの微妙なコンディションの差違によるものか、彼の弾き方も流動的な面があるのか、演奏に接していない私にはわかりませんが、この公演に限っては評価されているという印象です。

A strange evening with Ivo

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November 20, 2006

1月14日マスタークラス

ポゴレリチの来日が急遽決定しましたが、今回さらに注目すべきことは、軽井沢で彼のマスタークラスが行われることです。主催のSony Music Foundationに問い合わせましたところ、詳細について、下記のように御返答を頂きましたので、掲載します。

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イーヴォ・ポゴレリッチによるマスタークラス
■日程:2007年1月14日(日)
■時間:10:00~
※時間は変更になる場合がございます。
(午前中に受講生による演奏の聴講、午後よりマスタークラスを開催する予定です。レッスンは1人1時間を予定しております。)
■場所:軽井沢大賀ホール(東京より新幹線で約70分)
0267-42-0055
■受講生:公募はいたしません。
■聴講券:聴講は無料。
12月8日(金)よりSony Music Foundationで、
お電話でのみ受付致します。
Sony Music Foundation 03-3261-9933
(月~金曜/10:00-18:00)
※軽井沢大賀ホールでの聴講券のお取り扱いはございません。
■当日は通訳が入ります。

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November 17, 2006

デンバーポスト記事

昨日、演奏会批評記事を先にUPしましたので、順序が逆になりましたが、デンバーポストは11日の演奏会に先立ち、ポゴレリチを紹介する記事を10日に掲載していました。

When he takes the stage, anything can happen

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November 16, 2006

PlaybillArtsの記事

11月16日付けのPlaybillArtsに、ポゴレリチの今回のアメリカ・ツアーを概観する記事が出ています。

Spotlight: Slatkin Encourages Booing, Hampson Sells His Soul, Pogorelich Confounds Critics

例のショパン・コンクール予選落ち事件から始まって彼の経歴の概略、昨今の迷走ぶりを紹介したのち、さきのニューヨーク公演が不評であったことと、デンバー公演では風邪による体調不良をおして行った演奏会でそれなりに評価されたこと等が書かれています。

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デンバーポスト評

11日のコロラド州デンバーでの公演に関して、地元のデンバーポストが12日付けで批評を掲載していました。

Peculiar pianist eclipses compositions

内容的には、これまでの各紙と同様、ポゴレリチの奇妙なアプローチのためにベートーヴェンもショパンも全く別のものになり、そこには楽曲本来のものが全く聞き取れず、意味不明な演奏会だったというものです。またポゴレリチはこの日はあまり体調が良くなかったようでした。

ポゴレリチはまたコロラド州ボウルダーで演奏したいと語ったそうで、筆者は、もっと良い状態で聴きたいと思ったのでそれは朗報だと結んでいます。

デンバーポスト紙が掲載していた、この演奏会の広告のページは、こちら↓です。
Newman Center / Ivo Pogorelich (Ad)

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October 31, 2006

ニューヨーク・サン評

昨日付のニューヨーク・サンも、ポゴレリチの26日のニューヨーク公演の模様を記事にしています。結構長い記事です(全3ページのうちポゴレリチ関連は2ページほどです)。

タイトルは『音楽界のキャンセル魔、登場』。
Music's Notorious Canceler Makes an Appearance

のちほど、時間があれば試訳をUPしたいと思いますが、筆者のジェイ・ノードリンガー氏もやはり、今回のポゴレリチの演奏は全くどこが良いのか理解不能だったようです。私自身、理解できているとは言い難いのでこの評はもっともだと思う箇所が多かったですが、話が単に80年代のように弾いて欲しい的な結論になっているのが、私としては、ちょっと頂けませんでした。この方は、今まで四度もポゴレリチのニューヨーク公演を聴こうとしてその都度キャンセルされ、今回、初めて生の演奏を聴いたとのことなので、無理もないかもしれませんが。

プログラムは、曲順でいうと、ベートーヴェンのソナタ32番と24番、スクリャービンのソナタ4番、ラフマニノフのソナタ2番だったということです。ノードリンガー氏のお考えでは、ピアニストならベートーヴェンの作品111は晩年まで弾かないものだ、とのことなので、二十代の頃からこれをレパートリーにしているポゴレリチは既に狂っているとしか言えないわけですが、更に、演奏会で取り上げるとしたらこの曲は最後に持って来るのが当然だ、と氏は書いていらっしゃいます。プログラムを構成するにあたって、この曲のあとに弾ける曲などない、と考えるのが普通である、と。

ポゴレリチは今回、その作品111を、リサイタル全体の冒頭に持ってきて弾きました。氏は「演奏史上、もしかしたら誰か、作品111で演奏会を始めた人間が今までにいたかもしれないが、しかしそんな人はいないだろう」と書かれています。

恐れながら、ノードリンガー氏。作品111でリサイタルを始めた人が、1981年にも居ました。それは23歳当時のイーヴォ・ポゴレリチその人です。81年12月1日の日比谷公会堂で、ポゴレリチは、予定をいきなり変更してこの曲でリサイタルを開始しました。ケジュラッゼ女史がご存命で、一緒に日本にいらしていたときのことでした。演奏内容の是非はともかく、プログラムを組むにあたっては、彼は最初からそういうヒトだったのだと私は思っています。

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October 28, 2006

ニューヨークタイムズ評(訳・後半)

(続)

この演奏は、ブラヴォーとともに力強いブーイングを引きだしたのだが、その後の、ポゴレリチのベートーヴェンのソナタ24番は、むしろ、更に奇妙なものだった。ひとつひとつのフレーズが、ときには、ひとつひとつのリズムまでもが、それぞれ独自の世界に住んでいるような、この消極的かつ攻撃的な演奏において、誰が、「遅い」と「速い」の区別ができるだろうか。

40分以上に延長された休憩時には、ポゴレリチを再度ステージに呼び出そうと、揃えて手を叩き始めた客もいたし、諦めて帰った客もいた。私は、スクリャービンのソナタ4番とラフマニノフのソナタ2番は、ロマン派の様式の自由さを許すラプソディックな曲だから、ポゴレリチの気質にもっと合うだろうと期待していた。

嗚呼。彼の歪みは問題の一部でしかなかった。彼の音色は、基本的に、両極端しかなかった。ほとんど知覚不可能なほどの軽やかさで弾くか、彼の気の毒なハンブルク・スタインウェイを憐れみたくなるほど、どんと和音をぶつけ声部を殴りつけるか。この楽器は、この「ピアノ・フォルテ」シリーズのために、スタインウェイ社から美術館が借りたものなのに。

巨大な才能は、今や悲劇的に失われた。何が間違っていたのだろう?

(終)

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ニューヨークタイムズ評(訳・前半)

本日付のニューヨークタイムズのリサイタル評の訳を、とりあえずUPします。日本語に置き換えただけ、の出来ですが、例によって早いところに意義がある、ということでどうかお許し下さいませ。

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十年を経て正体不明の人物が戻って来る
アンソニー・トマシーニ

木曜日の夜、メトロポリタン美術館のグレース・レイニー・ロジャース音楽堂は、クロアチアのピアニスト、イーヴォ・ポゴレリチのリサイタルのために、舞台上に補助席まで出て満席だった。彼にとって、この十年で初めてのニューヨーク公演だった。1980年代に登場したとき、ポゴレリチは、技術的には目覚ましい、深く主観的な、間違いなく常軌を逸した演奏で、音楽界に衝撃を与えた。しかしこの十年間は、彼は正体不明の、予測不可能な人物だった。

彼はどんなふうにやっているのか?彼の、首尾一貫しない、解釈の面で道理に反する演奏は、描写することができない。開演して最初の何分か、ベートーヴェンのハ短調ソナタ32番は、奇妙に魅力的ではあった。まもなく、その演奏は、ただ単に奇妙なものになった。そしてこの夜は、ずっとそのままだったのだ。

このところ、48歳のポゴレリチは、「カルト・フィギュア(熱狂者)」の衣を身にまとっている。ただピアノに降り注ぐ一条のスポットライト以外は、ホールはほとんど真っ暗だった。ポゴレリチを、背の高い、痩せた、考え深げな美青年というふうに記憶していた人たちならば、がっしりした体格で、頭を剃っていて、ほとんど目に入っていない聴衆をにらみつけるように一瞥する、という彼の現在の出で立ちをみて驚いたかもしれない。

彼は譜めくりの助手を使って、印刷された楽譜を見て演奏した。原則的に私はそういう選択もあっていいと思うが、この場合、楽譜に頼るというのは、準備不足を補うものであるように見えた。そうでなければ、乱雑なパッセージの多さや、全体的なあての無さをどう説明したらいいのか。

ベートーヴェンの幻想的な最後のソナタでは、それは嵐のような複雑さに始まり、神秘的な無上の幸福に終わるのだが、ポゴレリチの間の取り方は音楽が前進する力と構造上の一貫性を失うところまで引き延ばされたものだった。音楽がなんらかの拍子を持たなければならないというのは、勇敢な独自性を欠く劣ったピアニストだけが守っていることだ、とポゴレリチは思っているように見える。考えてみたまえ。アルトゥール・シュナーベルやルドルフ・ゼルキンのこの曲の録音は26分ほどなのに、ポゴレリチの演奏は41分に引き延ばされていたのだ。

(続)

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長いので一度切ります。ここまでで前半です。

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ニューヨークタイムズ評

本日付のニューヨーク・タイムズに写真つきでポゴレリチの演奏会評が出ています。

After a Decade Away, an Elusive Figure Returns

詳細は、のちほど。

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