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November 2008

November 25, 2008

2007年バーデン・バーデン公演評・和訳

先日来、大変お世話になっておりますぶぶか様が、さらに2007年5月26日の、バーデン・バーデン公演評Tradition et expériences insolitesを、フランス語から日本語に翻訳して下さいました。これは先日のColosse aux pieds d’argile(Concerto.net)(和訳はパリ公演評・和訳2)の三段落目で「過去記事参照」としてリンクされていた文章です。

原文のほうは、このときの音楽祭の一環で開催されたコンサート3種を批評しており、最初はヴェルディのオペラについてで、ポゴレリチの評は最後から2段落目のみ、最後はオペラ歌曲のコンサートについてとなっています。また、1段落目にポゴレリチの名前が出てきますが、1段落目は最近のこの音楽祭の陰りについての評で「ムターやポゴレリチはサルツブルグ音楽祭の要人と近年コンタクトがある」という一文で彼の演奏とは関係なく重要な箇所ではないそうです。ですので、ポゴレリチの演奏会評の部分のみを和訳して頂きました。題名は「伝統と風変わりな体験」、・・・ポゴレリチがそのどちらであるかは、評を読まずとも皆様の御推測の通りと思います(笑)。

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「伝統と風変わりな体験」より抜粋

一方で、唖然とするオリジナリティーのイーヴォ・ポゴレリチのリサイタルの一こまを忘れることは出来ない。その儀式は変わることは無く、我々はそれに慣れることさえできる。薄暗く、端を折られた楽譜をめくる譜めくり人が規則正しい間隔で彼のぎこちない影を広げる(正直にいうと、とても目障りなのだが)。演奏者の無表情さに我々は「彼はここにいることを本当に望んでいるのだろうか…」と自問する。これら詳細で気分を害するのは避けたほうが良く、むしろ減多に体験でき無いチャンスとして彼のピアノへの心の旅に浸るがままにしたほうが良い。時としてある種の金属的な輝きを与えつつ、ダイナミックさの幅は巨大である。しかしながら、むしろフレーズの柔軟性が通常ピアノに許された全ての境界を越えているようにも見える。その点に関しては、まずプログラムの最初に弾かれたブラームスの「間奏曲作品118-2」の常識を逸した遅さが、まるでレッスンのごとく我々を瞑想させ、いくらかのこまごまとした音がそこでは恐ろしい力を得ることができる。こんな遅さは何に良いのだろう?この態度、あまりに勝手優位な姿勢を声高に非難することもできるが…。疑いも無く、魅了されるがままにしたほうが良い。その上、プロコフィエフの「ソナタ第6番」との風変わりなつながりを許しつつ、聴衆はあまりに茫然として拍手することも忘れた。一歩も譲らない集中力を要するソナタは、まるで時計職人のような細心さとともに、それぞれ独自の価値をもった詳細なフレーズがつながり、そしてあまりに広大過ぎる解釈は境界を越え完全に無限大となった。

後半最初に弾かれたグラナドスの3つの「スペイン舞曲」もやはり奇抜な演奏で、リズムの正確さは寛大なスペイン的雰囲気を作品には許さない。打ち鳴らされる前打音、スローモーションで腰を振る様子、淫らさというより一層催眠術のよう、ドライポイントによるゴヤのデッサン、茫然とした現代性。ついには「夜のガスパール」だけが最近のポゴレリチを見出すだろう。それは根本的には彼のエキセントリックさを超えていたが、それでもピアニストでありつづけ、耳の破壊者ではなかった。「オンディーヌ」は隠し包まれた優美さを保っていたが、現在の彼のあまりにダイナミックな弾き方ではピアノのメカニズムはもはや通常どおりには機能しない。「絞首台」も同様に印象的で、主としてラベルによって指示された魔法によって弾かれた。「スカルボ」にいたっては、力強さというのは、ポゴレリチのような人でさえも何よりもまずミスをしないように集中しなければならないというような技術的要求を確認するためであった(十分に猛烈な譜読みだが、損なった箇所がかなりあった)。2回目に呼び出された際、アンコールとしてバラキレフの「イスラメイ」を通してとどろくような騎行を見せた。名演奏に等しい。それもそのはず、「スカルボ」のそれは着想を得たものではあったが、同時に筋力の強さの披露により音楽的には目がくらむほどの崩落であった。10ページちょっとあまりの驚くべき肉体的偉業の後、ピアニストは最後の挨拶をし、立ち去った。次回彼を見るのはいつの日か?

ローラン・バルテル

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November 24, 2008

11月16日ミュンヘン公演評(独語)

ドイツの新聞sueddeutsche zeitungに、11月16日ミュンヘン公演の批評Klavierabend mit Ivo Pogorelich  Der Mönch im Pianistenpelzが掲載されています。米Yahoo!のポゴレリチGroupの書き込みによると、タイトルは英語になおすならばthe monk in a pianist's skin、『ピアニストの皮をかぶった修道僧』となるそうです。これは『羊の皮をかぶったオオカミ』のもじりです。

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November 22, 2008

来日公演チラシ

本日はチケット一般発売でした。現時点で、一体どれだけの人が、ポゴレリチの来日を知っていることでしょうか(汗)。

さてカジモトイープラスのサイトに、1月の来日公演のチラシがUPされています。
ポゴレリッチ来日公演チラシ

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November 18, 2008

2007年ストラスブール公演評・和訳

先日来、仏語記事をご紹介下さって、大変お世話になっておりますぶぶか様が、今度は2007年5月4日・6日の、ストラスブール公演評を和訳して下さいました。この文章は、先日のColosse aux pieds d’argile(Concerto.net)(和訳はパリ公演評・和訳2)の最初の段落中で「過去記事参照」としてリンクされていた文章です。

当日の曲目は、ラフマニノフの協奏曲2番と、プロコフィエフの交響曲5番で、批評文の最後の段落はプロコのほうに関する好意的な内容の文章だそうで、その部分はポゴレリチの演奏に直接の関係がないので、割愛した訳をして頂きました。

(原文は、こちらです→D’après Rachmaninov(Concerto.net))

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ラフマニノフによると

もうすぐ50歳を迎えるイーヴォ・ポゴレリチは、80年代の大人気ピアニストの象徴からは全く変わった。当時、発売される新譜は神託の暗号を解くかのごとく期待され、彼がコンサートホールに姿を見せると、そのような場所にはむしろ似つかわしくないような派手な騒ぎを引き起こしたものだった。その後これまでの間、この芸術家の私生活も健康状態も容易ではなく、数々のひどい軌跡を残しつつ、かつての若くて騒々しいスターを今日一抹の不安を抱える人間像へと変えた。我々が大いに推察した肉体的な力強さとは正反対の、ためらいがちな身動き、剃った頭、無表情、聴衆をただちに無視する奇妙な態度、このピアニストはすばやく着席するとホールが完全に静まる前に、すぐさまラフマニノフの協奏曲第2番の最初の音を弾き始めた。

この10年来、イーヴォ・ポゴレリチの数えるほどの稀なリサイタルを聴きに行けた人達にとっては、この風変わりな開始は驚きではないだろう。逆に、この芸術家の肉体的な見かけはむしろ良くなったように見える、おそらくこれまでの中でもっとも活動に時間を費やすと予告しているので(不確実だった録音が計画されそうなこと、彼のルガーノでの新居)。しかしながら、今回このピアニストを聴くことができたのは、近年の純粋なる快挙、または、思いがけない幸運であったのは事実だ。長らく表舞台から遠のいてはいたが完全に忘れ去られるべきではなかった一芸術家の、初期の録音(現在でも全て入手可能)によって残された強烈な印象が記憶にあるだけである。

思いがけない幸運?定期演奏会に来ているストラスブールの聴衆はおそらく特に意識はしなかったであろうが。というのは、イーヴォ・ポゴレリチのリサイタルがめったに行われないのであれば、彼がコンチェルトのソリストとして現れることなど非常に稀有なことである(その上、予定がほぼラフマニノフのコンチェルトの2番とさらにはプロコフィエフのコンチェルト3番にあてられている)。「もう私はオーケストラとは多くは演奏しない。つまらないので・・・」と昨年ドイツのメディアからの取材に応じ、このピアニストは宣言していた。そして確かに、直感的には、現在のポゴレリチの演奏の世界を我々は悪いほうに想像している。それは完全に主体的で、オーケストラがまとまるための必要最小限の規則によって共立可能なものである。始めの小節からひどく気をもませる。常識を逸脱した遅さのテンポ、さらにはメロディーの完全なる分解、有名な出だしは、まるで驚きの連続のように一つ、一つと発見しているかのようであり、もう理にかなった進行の音楽的要素ではない。しかしながらそこは、犠牲となったキリル・カラビッツのおかげである、まだとても若い指揮者である彼の開かれたエスプリのおかげで奇跡的な行程に成功し、いっぺんにくる要求も、常に警戒し、ついには頻繁にこの予測不可能なソリストとの局面を見出した。相反する二人の魅惑的な対話、指揮者の形勢は見た目には最もしなやかで、ある時は前に出(他に手段はないだろう、この永遠に終わらなさそうな対話のもとでは)、ある時は脇に寄るということを知っている。そしてこのコンチェルトを指揮するには鋼の神経が必要だと我々は想像できる。なぜならこのソリストがカデンツごとに突然テンポを半分に落とすので。時間のずれ(オーケストラはそれにいくらかついて行くが、直ぐにもとの状態にする)、およびオーケストラの音色を時としてにじませる”乱れ”をも避けるのが難しい。それでも、協奏曲の観念はこの極限状態ほど情熱的とは決して見えなかった。そして我々は、ストラスブールフィルハーモニック管弦楽団の音楽家たちが同様の注意と名演をもって挑戦に応じるのを楽しんだ。注意深く、完璧に彼らの仕事に没頭し、椅子にまっすぐ座りながら。この優美な様がフルートにも影響し、第二楽章での緊張の緩和と音楽的素晴らしさに満ちた挿入に成功した。そこは、惑わすようなこの世のものとは思えないピアノと、未熟なレモンの汁をさんざん浴びたショックの後で、我々も懸念していた箇所だったが、一度だけ心地よく緩和されたような気分になった(アダージョ・ソステヌート、テンポ・プリモの再提示部前の一小節)。

まさに瀬戸際に立たされて演奏された協奏曲、約100人の音楽家とたった一人との間で。その”一人”というのは自分勝手で、古くぼけた楽譜に鼻を突っ込み、譜めくり助手を伴っている。あえて言おう、もしポゴレリチ以外の誰かがこれと同様に有名な作品にて、この自由さの4分の1でも演奏しようものなら、それは邪道だ。しかし、類まれな実績ある音楽家が提案し、もし我々が彼の世界に入ることを受け入れたのであれば、それは純粋に魅惑的である。ルバートの観念をはるかに超え、この聞こえてくる音楽的自由さを持った新たな”ルバート”は、我々がちょっと早くに盗んだ”遅れ”を若干長く持ちこたえなければならない。ポゴレリチは好きで遅れており、全く追いつこうともせず、もはや構築もせず、面白く詩的な放浪をただ引き起こさせるだけだ。それは、彼自身が幻想的で苛まれた世界を創造しつつも、そこでは、それぞれが自分の好みに合った、アルノルト・ベックリン、エドヴァルド・ムンクまたはジェームズ・アンソール達のような不吉な痕跡を見つけ出すことができる。驚きと意外な隠蔽への旅(オーケストラの存在にピアノの旋律はえてして消えうせるが、突然のアクセント、さらには対旋律が前代未聞の立体感で不意に現れるおかげで、そこに完全に溺れているわけではない)。好んで弾かれるラフマニノフのコンチェルト2番が、これほどまでに濃密で、究められ、増え、そして理屈に合わないことに、ほとんどどぎつくないように思われる事は決して無いだろう。なぜなら仮にポゴレリチの演奏がただ変動的なだけであるなら、彼は全ての俗っぽさを避け、どんなに大きく急な進路変更の最中であっても、作品に対しての厳格な印象を守り、あまりに簡易な感情に対して、静かに軽蔑した態度を保つであろう。奇跡と不可解さを同時に併せ持っている。聴く以外には正確に表現できない。このピアニストを信用し、導かれるままにし、破片ひとつさえも失わずにいるにせよ、または完全に外野に留まり非難することもできる。このどちらの態度も平等に尊重すべきである。しかし、聴衆の静粛の度合いを聞く限り、彼は多数決により1番目の選択をしたのではないかと推測できる。

ローラン・バルテル

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イープラス、カジモトイープラスの記事

イープラスとカジモトイープラスがそれぞれポゴレリチの来日公演関連記事を掲載しています。

e+独占先行販売!現代のピアノ界きっての鬼才≪イーヴォ・ポゴレリッチ>>
鬼才のピアノ再び!イーヴォ・ポゴレリッチ急遽来日決定/先行発売いよいよ開始!! [カジモトくんの気まぐれ日記]

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November 15, 2008

ワルシャワ公演の記事

Słynny pianista Ivo Pogorelic zagra dziś w Warszawie

2008-10-26付けなので先日のワルシャワ公演の記事だと思われます。最近ではいちばん、髪が伸びている写真ですね(笑)。日本に来るのに気合いを入れて剃って来るかもしれませんが。彼の背後にあるのは50歳記念公演のロゴ入りポスターです。IV5Oという配列が面白いです。

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November 10, 2008

ポゴレリチ(ポゴレリッチ)来日公演2009年1月

(11月7日夜の発表以来、お問い合わせを頂戴していますので、
しばらくの間、この記述が一番上に来るように設定しています。
拙サイト トップページでもご案内しております。)

イーヴォ・ポゴレリチ(ポゴレリッチ)来日公演決定
2009年1月19日(月)19:00サントリーホール

ショパン:夜想曲 変ホ長調 作品55-2
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
リスト:メフィスト・ワルツ第1番
シベリウス:悲しきワルツ
ラヴェル:夜のガスパール

今回は東京一回のみの公演です。チケットは、
カジモトイープラス会員限定先行受付11/14(金)12:00 ~ 11/18(火)18:00
その他一般発売 11/22(土)10:00 ~となっています。

(招聘):梶本音楽事務所http://www.kajimotomusic.com/
(チケット関係):カジモト・イープラスhttp://kajimotoeplus.com/pc/

カジモト・イープラス会員特典および登録方法についてはhttp://kajimotoeplus.com/pc/eplus-reg.html

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November 09, 2008

パリ公演評・和訳2

10月23日パリ公演の批評が、Colosse aux pieds d’argile(Concerto.net)として掲載されていますが、その和訳を、ぶぶか様が送って下さいました。前回掲載させて頂きましたパリ公演評・和訳に引き続いて、ご多忙中、翻訳をして下さいましたぶぶか様に、この場をお借りしまして、篤く、お礼を申し上げます。ありがとうございました!

このパリ公演は、今回発表になった来日公演のプログラムと全く同じ曲目を弾いていますので、来るべき東京公演の内容を、あれこれを予想・想像してみるのに、大いに参考になる批評文ではないかと思います。

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見掛け倒しの人

それはサル・ガヴォでのイーヴォ・ポゴレリチのコンサートへと急ぐ群衆である。夜会への一群であり、熱心で特に注意深く、時に例外はあるが、静粛と演奏者の集中力に注意をはらう人々である。我々はその稀有なピアニストの驚くべき変遷を知っている。ショパンコンクールではじかれたロマンティックで硫黄色のイメージの若い天才は、彼の強烈な個性の副産物とほぼ言えるその解釈にもはや全くもって見るものが無く、今となっては分別ある年齢に達した(過去記事参照)。ポゴレリチのリサイタルに行くことは喜びのひとこまでは全く無い。むき出しの照明、最初の挨拶も無く、ピアノの上には譜面を置き、脇に譜めくり人を従えている。しかしながら、喜びはこの非凡な芸術家を案内することではない。

紙に書かれたプログラムはむしろ平凡で、若いヴィルティオーゾが彼の才能のパノラマを見せることも出来たのにと思わせるようなものである。そのプログラムは、確かにこのクロアチアのピアニストがさまざまなスタイルの各作品に対して彼の一貫性を与えるアプローチではあるが。そしてその手法というのが、当惑的で、極度の暴力と遅さの間で揺れ動いているものである。不安、苦しみ、激高もがこの芸術家より漂い、シベリウスのピアノ曲版「悲しきワルツ」にも含まれており、その演奏は沈める聖堂のように深い悲しみの中におぼれている。同様にリストの「メフィストワルツ第一番」は信じられない力によりみじん切りにされた。ポゴレリチは同時にノイローゼぎみの人間の叫びを聞かせ、中間部では地獄でさまよう魂の小さい声が歌うのではなく、うめき、不安にさせ、混乱させる。かつてこの楽譜をこのような観点でまじめに解釈したことはあっただろうか?

夜のガスパールも本質的な解釈はされずじまいである。特に「オンディーヌ」は同じくうめくような痛みを発し、このクロアチアのピアニストがしばしば多用した(過去記事参照)独自のラベルの音の魔法に浸っている。「絞首台」では、ポゴレリチは段階的にテンポをゆるめるというほとんど気づかないくらい方法で激しい不安を表す。「スカルボ」にいたっては、時として不調和であり風変わりで、現実離れした雰囲気の連続の中で同時に突飛さと荘厳さが現れる。イーヴォ・ポゴレリチは彼独自の見方を作品に適用しているようである(たとえば作曲者の意図に敬意を払って演奏する替わりに)。しかしながら、この物理的に驚くべきインパクトと演奏の不快感、言葉では描写できないものすごく大きな力といったものを我々は味わねばならなかった。同様にショパンもほとんど動きのない音色でもって遅さと乱暴さの実験をした。それは、胸を締め付け、憤慨し、惑わし、けれども感動させるといった音楽のニュアンスの無い断言的なものに直面した、ある種のルネ・シャール「暗闇の破滅より落ちたこの静かなる石の塊」(注1)を連想させる。

もっとも、もしイーヴォ・ポゴレリチがワルシャワでのコンクールでこのショパンを披露していたら、3次予選で落選した1980年のあの時よりもさらに多くの論争を引き起こしたであろう。しかしながら、彼の音楽的テキストの解体作業は疑問の余地など無い根源であり、ひょっとしてショパン音楽の探求かも知れない。例えば4半世紀ちょっと前にドイツグラモフォンから出された有名な録音である変ホ長調のノクターンをこの建築家はあれ以降ずいぶん深く発展させた。もし生み出された極度のフォルテの和音がいつも同じ効果を生じるのなら、引き伸ばされたテンポがその後のメロディをかき消し、連なった音をそれぞれ独立した音の塊にしてしまうだろう。まるでイグナツ・フリードマンのショパンよりも、より一層ベルクのソナタを思わせる。

このアプローチを激化させながら、4つの楽章が繋がった「ソナタ第3番」では、ニュアンスのコントラストおよび各音の長さに対する我々の理解を混乱させた。アレグロ・マエストーゾでは、きわめて叙述的で途方も無く遅く、和音は果てしない深さへと徐々に徐々に没頭する。モルト・ヴィヴァーチェのスケルツォの解体を目の当たりにして我々は非難することもできた。しかしながら、苦しめられた仕草、極端主義、彼自身のもつラルゴ、この演奏者の(苦しみでゆがめられた)表情にあるような、この世のすべての不幸といったものを我々は忘れる準備が出来ていない。その後のフィナーレでは、信じられないほどの獰猛的非情なタッチで、もはや粗野な力強さだけを巻き起こした。

技術面においては、特にラベルでは印象的であったが、ほとんど正確性に欠け、時としてミスをしているように見える、まるで晩年のペルルミュテールのショパンのように。たたきつける暴力的な演奏による爆発が楽器を無傷にさせておくはずはなく、リストのいくつかの鋭い音を若干損ないつつ、各演奏の最後には十分に音程が狂っているように聞こえた。しかしながら、アンコールで弾いたブラームスの「インテルメッゾ」の心揺さぶる最後はそうではなかったが。まさにイーヴォ・ポゴレリチはさいなまれた存在であり、傷ついた人間である。なによりも大男であり、確かに見掛け倒しである、しかしながら彼は偉大である。

ジル・デイル

注1)シュールレアリズムの詩人であるルネ・シャールの名前が出てきているが、実際この引用は、ステファン・マラルメの「エドガー・ポーの墓」の一節からと思われる。

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November 08, 2008

急遽、来日決定!

ポゴレリチが来年1月に来日すると、急遽、発表されました。カジモトイープラスのトップから、「ポゴレリッチ」で検索して頂きましたら情報が出ます。また、チケットぴあでも「ポゴレリッチ」で掲載されています。

2009年1月19日(月)
サントリーホール(大) (東京都)
ショパン:夜想曲 変ホ長調 作品55-2
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
リスト:メフィスト・ワルツ第1番
シベリウス:悲しきワルツ
ラヴェル:夜のガスパール

今シーズンのヨーロッパ公演のプログラムと同じなので、多分、このままで来ると思います。少なくとも、2005年のように全面的に曲目を入れ替えるということは無さそうに思われます。

チケットは、カジモトイープラスの会員限定先行受付が11/14(金)12:00 ~ 11/18(火)18:00、その他一般発売が 11/22(土)10:00 ~となっています。

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November 06, 2008

パリ公演評・和訳

先日リンクを貼りましたフランス語記事TRISTE ET BEAU Pogorelich, Salle Gaveau, le 23 octobre 2008の和訳を、ぶぶか様が送って下さいました。お忙しいところ、このように詳細な和訳を作成して下さいました、ぶぶか様に、心より篤くお礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました!この記事は、いずれ拙サイト内の「海外記事に見るポゴレリチ」にも掲載させて頂く予定です。

文章は、シルヴァン・フォール氏による、10月23日のパリ公演評です。ぶぶか様によりますと、フォール氏はエコール・ノルマルの文学専攻出身で98年以降音楽の評論をやっているようだとのことです。ポゴレリチは音楽の学位を持たない人が専門家の立場で批評を書くことには批判的ですが、この方がプロとして書かれているのかどうかは不明のようです。また、2段落目までは、ポゴレリチには直接触れておらず、聴衆の華やかな様子、チケットのチェックが厳しくて入場するのに時間がかかったこと等が書いてあるそうで、その部分は割愛した訳を書いて頂きました。

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悲しく、そして美しい


ついに彼は登場した。かつてダルマチアの王子(ベオグラード生まれではあるが)のようだった人物は、今となっては覚めきった表情をし、墜ちた詩人のごとく頭を剃りあげている。彼のゆっくりとした力ない歩き方は、倒れないまでも幾分揺れ動いている。ピアノに向かった彼の様相は、正に尊大だ。しかしながらこの天才の登場と暖房によって高揚したホールは、もうすぐ、悲嘆にくれたプログラムと彼の未知で葬送じみた解釈に因っての生ぬるいシャワーを浴びなければならないことになるだろう。

イーヴォ・ポゴレリチの演奏は巨大な悲しみに圧迫されているようだ。全てがスローモーションのようで、音色は、充実した光沢のある比類なき美しさといったものではない。我々が感じたのは、何かしらほとんど優柔不断で前進しないとでも言うべきものであった。二つの(注:複数になっている)ノクターン作品55では、恒常的に維持される嗚咽よりはいくぶん悲嘆が緩和され、最も長い休止の時々には、沈黙の源を探しに行くかのようである。ソナタ第3番は破壊的な大きな力で進められたが、至るところに悔恨の色を入り込ませた。力強く弾くべき箇所は怒りっぽくなり、やさしく弾くべき箇所は悲しみに満ちた。ホール内の関心は、この音色の中でだんだんと弱まっていった。慎重におさえていた咳が聞こえ始めた。椅子が軋んだ。軽く頭を振る人たちがいた。しかしながら、まさにそれ、何物でもなくポゴレリチ自身が我々を聴くように仕向けている。秘密のささやき、低く話す声、遠くからは歌が聞こえる。我々の注意は、一応は彼に注がれてはいるが、もはやショパンにしか払われていない。そのショパンは、おそらく意図的だろうが、十分に新しい類の”深さ”だった。メフィストワルツも同じ手法で弾かれた。このヴィルティオーゾは全く力の衰えを見せなかった。しかしながら、この音楽家は嘆きの歌の拡がりといくぶん孤独な夢想をファウストの物語の中に聴かせることを知っているようだ。

彼はシベリウスの悲しきワルツを十分に破壊し、そこにもショパンやリストほどの内容の濃さでないにせよ、疑いも無く悲壮味が漂っていた。しかしながら、夜のガスパールはゆがめられた。この重い水のうねり、あいまいな描写の背後に、我々のオンディーヌを見つけることはほとんどできない。聴衆にもはやそれは魅力的なオンディーヌではなく、呪いと脅威のオンディーヌであることを受け入れさせるまで、彼はこの手法で深淵を鳴り響かせた。ゆがめられた?いや変換されたのだ。絞首台は、あまりに自由過ぎるがとても大胆なピアニッシモに到達した。真髄を極めるための努力、この音楽の所有する音のしつこさ、重大さ、そして悲劇ではなく、さらにひどいことに失望までをも蒸留する。スカルボは1mを超す怒りっぽく、無限に苦々しい地の精(注:本来は醜い小人の姿の妖精)となった。

要するに、ここにいる全員に、ある種のロマンティズムを刻み込んだ。それは涙を誘うロマンティズムでも勇敢めいたものでもない。それは、過ぎ去りし日々を思い静寂の中で泣いているような、起こるべきことが生じなかったことを嘆いているようなものである。このリサイタルは透明さと月光の神秘性を持ち合わせていた。静かな月の光、悲しくそして美しい、森の中の鳥たちを震えさせるような、、、あなたもご存知でしょう。

この緩慢空間によって強張った我々は、帰りを急ぐ人たちの出口で、一人のうんざりした男性が彼なりの評決を口にするのを聞いた。「少し悲しかった」と。少し悲しい?おやおや、それは(注:この男性がポゴレリチの演奏を全く理解していないことに対して)絶望的だった。つまり彼にとっては健康的だったのだ(注:演奏によって胸を締め付けられるといった健康を害することも感じなかったこの男性にとって)。つまり彼にとってはある意味素晴らしかったのだ。

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November 03, 2008

今月のClassica Japan

今月もポゴレリチの映像がクラシカ・ジャパンで放映されます。いずれもDVD化されているものばかりですが、お持ちでない方には貴重な映像だと思います。勿論、再度ご覧になりたい方も、どうぞ。

スカルラッティ:ソナタ集
[ピアノ]イヴォ・ポゴレリチ
[収録]1987年1月エッカルトザウ城(ニーダーエスターライヒ)、約23分
2008年11月01日(土) 11:30
2008年11月11日(火) 11:35
2008年11月19日(水) 深夜 0:00
2008年11月25日(火) 19:30

ポゴレリチのショパン・リサイタル Vol.1
[演目]ショパン:ポロネーズ第4番ハ短調、夜想曲第16番変ホ長調、前奏曲第25番嬰ハ短調、ピアノ・ソナタ第3番ロ短調
[ピアノ]イヴォ・ポゴレリチ 約1時間5分
2008年11月16日(日) 08:10
2008年11月18日(火) 18:10
2008年11月22日(土) 22:40
2008年11月26日(水) 04:00
2008年11月29日(土) 04:15

ポゴレリチのショパン・リサイタル Vol.2
[演目]ショパン:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調『葬送』、前奏曲第21番変ロ長調、ポロネーズ第5番嬰ハ短調
[ピアノ]イヴォ・ポゴレリチ 約44分
2008年11月16日(日) 09:15
2008年11月18日(火) 19:15
2008年11月22日(土) 23:45
2008年11月26日(水) 05:05
2008年11月29日(土) 05:20

ポゴレリチ・プレイズ・バッハ
J.S.バッハ:イギリス組曲第2番イ短調BWV807、第3番ト短調BWV808
[ピアノ]イヴォ・ポゴレリチ
[収録]1986年10月パラッツォ・パラディアーナ・ディ・カルドーニョ(ノルデラ、ヴィンチェンツァ近郊)、約55分
2008年11月25日(火) 20:00
2008年11月29日(土) 12:00

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November 01, 2008

Drinking from a different spring(2)

D:それにしても貴男は、ワイマールで、ピアニストとして、オーケストラとの共演で何をしようとお考えですか

P:音楽において、私が獲得したもののうちから、彼らに何かを伝えたい、と思っています。感受性の強い若い人たちに、私の考えと向き合って貰うことは私にとって常に興味深いことです。オケに所属している若い人たちというのは、個人個人でありながら、ひとつの響きの中で融合し合わなくてはなりません。この状況下でなら、私は、オケと共演することに何の問題もありません。そうでなければ、私には共演などほとんどあり得ないことですよ。全くうんざりします。特に組合の規則に縛られるアメリカのオケにはね。シカゴでクラウディオ・アバドと、ショパンの2番の協奏曲を録音したとき、あと13秒で最終楽章が終わるという瞬間に、ひとりの女性が唐突に時計を振りかざして(訳注:オケの勤務時間が終わりだというので)レコーディングをやめさせました。私はあまりにも腹が立って、”何様だ、そんなことをするとは、直ちに出て行け、これ以上顔も見たくない”と怒鳴りました。これにはクラウディオでさえ、びくっとした様子でしたよ。

D:しかし世界中が、貴男とアバドには大きな期待をしていましたよね

P:私は彼がとても好きでした。彼はすべての指揮者の中で、最も慎み深い人です。そして本当に良く音を聴いてくれる。そうですね、彼ともう一度やってみなくては。あるいは、マルタ・アルゲリッチがつい最近、大変熱心に勧めてくれた、グスタヴォ・ドゥダメルとも。私はいつも、若い演奏家を支援しようとしてきました。なぜなら、私の特権的な地位により、将来のために何かを発掘したいと考えたからです。自分自身がまだ若かった頃でさえ、そう思っていました。22歳だったときには、感謝の気持ちを表したいと思っても、それはほとんど資金面での貢献になりました。が、昨年は、中国や台湾、アテネで、公開のマスタークラスを行いましたので、自分自身が直接関わる喜びを得られるようになりました。

(続)

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