過去の演奏会

December 26, 2004

1983年のザルツブルク音楽祭

来年夏のザルツブルク音楽祭への、ポゴレリチの出演は、彼にとっては二度目となるもので、前回は83年の8月に同音楽祭で演奏しています。

このサイトのポゴレリチの年譜の欄にも書いていますが、1983年8月20日に、ポゴレリチはザルツブルク音楽祭でリサイタルを行っており、そのときのプログラムは、ハイドンのソナタ第46番、ラヴェルのガスパール、プロコフィエフのソナタ第6番というものでした。

このときは、6月に来日公演を済ませたばかりで、既にカラヤンとの共演でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音するという話も出ていた時期でした。この頃が、カラヤンとポゴレリチの短い蜜月時代でしたが、この後、ポゴレリチはツィメルマンのような優等生的なピアニストではないことが、徐々にカラヤンの目にも明らかとなり、翌年3月に演奏会を目前にしてふたりは決裂してしまうのでした(^_^;。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 24, 2004

2003年イスラエル公演記事UP

昨年夏のイスラエル公演についての、エルサレム・ポストの記事を拙訳にてUPしました。訳文としては全然こなれてませんが、お許し下さいませ(>_<)ヽ。原文を日本語に置き換えただけ、とご理解下さい。

http://www.geocities.jp/rc1981rc/foreignarticles.htm

しかし、先日も昨年夏のイスラエル公演についてで指摘したように、紹介記事は間違いだらけだし(もうひとつ発見しました、ユネスコの親善大使に任命されたのは1998年じゃなくて1988年では(^_^;?)、演奏会評は「もしもし、ちょっとイタいんじゃありませんか(^_^;」と尋ねたいような絶賛調だし、いろいろと面白い記事群でした。

ですが、このように斜に構えて読むのではなく、もし、このときの演奏会評を書いた批評家が、本当にこれほどまでに感銘を受けたのだとしたら・・・・と考えてみると、なかなか興奮させられます。この公演は是非、聴いてみたかったですね。彼の音楽が、俗世から隔絶された一種の独白のようなものであるということは、なんとなく想像がつくのですが、「天上の美と清浄の響きをもたらす」とはどれほどの演奏だったことか・・・・。

ともあれ、この記事に見る限り、ほぼ一年前のポゴレリチは、心身ともに安定していて、良い演奏会を行ったように思われます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 20, 2004

更新(来日公演の記録)

95年来日公演の記録のページに、11月13日三鷹市芸術文化センターのリサイタルに関して、プログラム変遷の記録を書き足しました。当時の詳しい情報をご提供下さいました方々、本当にありがとうございました<(_ _)>。

11月13日三鷹市芸術文化センターのプログラム変更に関して

このときの来日公演は、他にも、前売り開始時に案内されていた曲目とは、大幅に違うものが演奏された公演地があって(東京Bプロは当初、オールベートーヴェンが予定されていたが、最終的にはベートーヴェンは一曲も演奏されなかった)、ポゴレリチのコンディションが良くなかったことが、その理由だったようですが、いろいろあった中でも初日の三鷹の混乱はかなりのものだったのではないかと思われます。

まず、前売り開始段階で発表されていた曲目から、来日前までの期間に、部分的な変更があり、これが「Aプロ」としてプログラム冊子に印刷されましたが、演奏会までの間に更に大幅に曲目が差し替えられ、この段階で、前売り開始前の予定にあった曲目はすべて姿を消しました。が、それで終わらず、演奏会当日になって、ポゴレリチの体調が非常に悪かったことから、再度、構成が変えられ、リサイタル後半の曲目が変更されました。

これらの変更の都度、主催者側からは、プリントが配られたり、当日会場での説明が行われたりしたそうで、対応に奔走させられた様子が偲ばれます。が、当日は結局、この状況でもアンコールを1曲、演奏しているので、少なくともポゴレリチ本人にとっては、ある程度、納得の行く演奏会だったのではないかと思われます(^_^;。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 17, 2004

昨年夏のイスラエル公演について

ちょうど一年ほど前のイスラエル公演についての記事が、いくつか集まりましたので、近々ご紹介できればと思っています。昨年のこの時期は、ドイツのバート・キシンゲンでラフマニノフの協奏曲第2番を弾いたり、このイスラエル公演に出かけたり、そのあと秋には香港でも協奏曲とリサイタルを行ったり、等々、ポゴレリチは随分と積極的に活動していましたので、またきっと元気になって演奏会を再開し、出来ることなら日本にも来て欲しい、と思わずにいられません。本当にこれは、つい一年ほどまえの記事なのですよね・・・。

ポゴレリチのイスラエル公演に先立ち、昨年6月24日の「エルサレム・ポスト」に、その紹介記事が掲載されていました。それによると、このツアーではリサイタルが3回組まれていて、

7月 8日 テル・アヴィヴのマン・オーディトリアム
7月10日 エルサレム劇場、
7月13日 ハイファのオーディトリアム

と書いてあり、プログラムはいずれも、

ベートーヴェン:ソナタ・ヘ短調作品78「テレーゼ」
ベートーヴェン:ソナタ・ハ短調作品111、
スクリャービン:二つの詩曲作品32、
ラフマニノフ:「楽興の時」作品16、

ということだったようです。これらの途中に、シャロン首相の邸に招かれて、ひとつ私的なリサイタルを行っていますので、結果的に彼はイスラエル滞在中に4回の演奏会を持った訳です。

可笑しいのは、彼の経歴を紹介している部分で、「The pianist gained worldwide recognition by 1980, winning prizes in competitions in Italy and Canada(このピアニストは、イタリアとカナダのコンクールで賞を取り、1980年までに世界的にその名を知られるようになった)」とあって、その次がいきなり81年のカーネギー・ホール・デビューリサイタルの逸話になっているのですが、ちょっと、あの、そ、そりだけですか(^_^;?彼を紹介するのに、ポーランドで「落選」した話に全然触れていない文章なんて、私は初めて見ました。

「At 12, his family moved to the former Soviet Union, where he enrolled in musical conservatories.(彼が12歳のとき、一家は旧ソビエト連邦に移住し、そこで彼は音楽院に入った)」というのも、どう考えても誤りですよね。一家転住でソ連に行ったという記述は、他では見たことがありません。イーヴォ少年はひとりでモスクワに渡り、音楽学校の寄宿舎でそれから十年ほどを過ごした筈。DVD「ワルシャワの覇者」の中の「ケゼラーゼと語る」の部分でも、彼が自分でそう言っていたのだから、確かだと思うのですが。単なる事実誤認か、それともイスラエルの常識とか制度の範囲内では、12歳になる少年が単身で外国留学、というのは、あり得ないことなんだろうか?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 16, 2004

ラフマニノフ第2番の記事追加

99年のアメリカ公演におけるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に関して、新たに見つけた記事の要約を追加しました。
http://www.geocities.jp/rc1981rc/rach2index.htm

ミネソタ公演とワシントン公演についてがメインですが、そのほか、小さい記事もいくつか追加しています。newのマークのついている箇所が更新したところです。ワシントン公演に関しては、指揮のスラトキンとの相性が結構良かったらしいことが伺われ、批評も好評であることから、指揮者と衝突することなくポゴレリチの思い通りにこの曲を弾くことが出来たなら、更に何か伝わるものがあったのかもしれない、と、つい、考えてしまいました。協奏曲はピアニストひとりの技量でどうこうできるものではなく、指揮者や管弦楽次第という部分もかなりあるので、こういう点で妥協できなかった演奏家は、やがて、「弾き振り」という形態を追求するようになるのかもしれない、と思ったりもしました。

ところで、9月にミネソタ公演の批評を最初に書いたのはM・アンソニーという批評家なのですが、この方は、ポゴレリチの演奏がとにかく全然気に入らなかった様子で、ミネアポリスでの公演をさんざんにけなし、聴衆のスタンディング・オヴェイションさえ「慣習的なもの」と断じ、その後10月最後の週のロンドン公演が終わるやいなやこれを取り上げ、「フィラデルフィアでは聴衆にヤジられ」「ロンドンでは更に大きなブーイング」とだめ押しし、更に11月末の記事で指揮の大植英次が「ポゴレリチの解釈に添ってしまったことを後悔していると述べた」とわざわざもう一度書き、それでも足りずに、年末12月26日のTHE YEAR IN CLASSICAL MUSICという記事でもう一度一連の話のおさらいをして「Harrumph!」(咳払い)で締めくくり、・・・・アンソニー様、もうよろしくてよ(^_^;、と私はそのシツコさにちょっと辟易しました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 27, 2004

昨年夏のイスラエル公演

HighBeamでの検索でわかった、昨年夏のイスラエル公演に関する事柄は、後日、「海外記事~」のところにまとめてUPしたいと思っていますが、ポゴレリチが以前言っていたように(『Great Contemporary Pianists Speak for Themselves』(1988))、イスラエル公演では今回も、結構余裕を持ったスケジュールで過ごせたようでした。7月8日にテルアビブのMann Auditoriumでひとつ演奏会をしたあと、公式的には10日にエルサレム、13日にハイファでのリサイタルがあって、ほぼ一週間の滞在中にリサイタルが3回、しかも間が必ず1日は空くようになっていました。ポゴレリチの体調を考慮してこういう予定になったものか、それとも、もともとイスラエルのエージェントがそういう気質なのか。

面白いのは非公式の演奏会のほうで、実はこの間、7月9日に、ポゴレリチはシャロン首相の私邸に招かれて、彼のためのリサイタルをひとつ行っています。シャロン首相は音楽好きで、ポゴレリチの演奏会には是非行きたいとの意向だったそうなのですが、この時期、警備の問題から首相の外出は困難と判断され、ポゴレリチのほうから彼の招きに応じて出向くことになったようです。首相本人のほか、私的な招待客がこの演奏会を聴いたとのことです。羨まし過ぎる~。以前、日本の事務所にポゴレリチのギャラを聞いたら、私はとてもじゃないが個人では彼を一晩たりとも招聘することは不可能だったですが(^_^;、イスラエルの首相ならそれが可能だったのですね。さすが~・・・・(一緒にするな)。

プログラムはベートーヴェンのソナタ(テレーゼと作品111)のことが書いてありましたので、多分このあとの10月に行われた香港公演のときと、同じものだったのではないかと思います。また、詳細は改めてUPしたいと思っています。

| | Comments (0) | TrackBack (0)